5月24日

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もうちょっと。もう一歩。光につられて手と足をぎこちなくも確かに前へと動かしていく。

「ママ!かれんちゃんが、かれんちゃんが、、!!」

なんだか後ろが騒がしいけれど、また一歩前に進んでみる。だってあっちの方が明るいんだもん。風が頬を掠めていく。

「かれん、こっちおいで。こっち、こっち、、。」

あとちょっと、そうやってまた手を前に出そうとしたら、後ろから声が聞こえた。ママの声だ。あとちょっとなんだけどな。でも呼ばれているしなあ。仕方なくきた道を戻ることにする。また手と足をぎこちなく動かして声のする方へ進んでいく。

ふわっと宙に浮いたと思ったらたちまち目の前が真っ暗になりママの声がたくさん聞こえた。ぎゅっと、ぎゅーっと抱きしめられている。さっきまで追いかけていた外の光よりも、この大きな腕の中の方がよっぽど温かくて気持ちいいや。

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なんてことがあったのだろうか。全く覚えていないから妄想してみた。

母に何度も何度も聞かされた話。赤ちゃんの頃ベランダから落っこちそうになっていた私を見た兄が、母を呼びつけてくれたおかげで私は今こうして生きているらしい。

思い出というのは美化されることが多いが、全くもって美化されない記憶が兄との間には山のようにある。部屋の中、家の前、グラウンド、おばあちゃん家、いつどこで泣かされたか鮮明に覚えている。今となっては、どうせ泣かされるんだから後ろなんてついて行かなきゃいいのにと思うのだが、兄妹ってそういうものだ。あの頃は二つ上の兄の背中を追いかけないと私の目の前に新しい世界が広がることなんて無かった。力では絶対に敵わなくて、よく泣かされていた。だから仲良し兄妹にはならなかったし、「お兄ちゃんが大好きな可愛い妹」にもならなかった。けれど、大人になった今なら分かる。あの時やり返せなかったりやり返してもあんまり効果がなかったり、この野郎って思ってばかりだったけれど、その分私は二番目であること、妹であることの恩恵をしっかり、決して余すことなく受け取ってきていた。

兄がやっていたサッカーを私も始めた。家の前、夏休みのキャンプ場、冬休みのグラウンド。色んなところで向かい合ってボールを蹴った。書くのも食べるのも投げるのも全て左利きの私が利き足だけ右利きになったのは、レフティの兄との対面パスのせいという説が濃厚である。いつも蹴ってくるボールが速くて強くて、上手く止められず足が痛くなり、大抵私が先に嫌になって涙目で家に帰った。それでも飽きずにまたボールを一緒に蹴った。

サッカーする背中。テスト勉強に励む背中。高校受験と大学受験。海外留学に就職活動。年齢が上がる毎にこんな世界があるんだといつも私に知らない世界をみせてくれた。父と母に怒られたり褒められたりする様も有り難く参考にさせてもらった。

海外サッカーも先に好きになったのは兄。小学生の頃からW杯やバルセロナの試合を観ていた。それは今も相変わらずで、大学生になると都外の大学に進学したり留学したりで一緒に住まなくなってあまり喋らなくなった兄妹の唯一の会話のタネは海外サッカーだけだった。

ある日の早朝。気持ちよく寝ていたのに上の階(リビング)がうるさくて目が覚めた。騒音の原因はテレビでバルサの試合を観ていた兄の興奮混じりの声である。隣の部屋ではまだ両親も寝ていたし元々の寝起きの不機嫌も相まって2階に上がるやいなや画面に夢中の兄に、

「うるさいなあ、何時だと思ってんの、みんな寝てるんだけど。」とマジギレの私。

「この試合のバルサ、(相手チームと)ユニの色が被るから去年のサブユニフォーム着てんだよ。」と兄。

「・・・。」

私の怒りは一瞬にして消えてなくなった。あの時が間違いなく人生で怒りが鎮まった最速記録だ。

2秒ほど何を言われているのか分からず、思考が停止というよりは脳が理解しようとするのを拒否しているような感覚に陥った。寝ぼけていたのか、目の前にいるのが宇宙人かと思うくらいに。

言葉を失くしたままとりあえず座って冷静に考えた。

おそらく珍しいユニフォーム情報を試合を観ながらずっと誰かに話したくて仕方がなかったんだろうな。それで頭がいっぱいで起きてきた私のマジギレなんて一切耳に入らずに、話したかったこと話したんだろうな。

(・・・。会話のキャッチボールが苦手な私ですらここまでの暴投をしたことはない)

小さい頃から高校や大学の偏差値とはかけ離れた兄の宇宙人的な部分(天然なんて可愛いものではない)は度々目にしてきたが、まさか社会人になった現在も変わらずその部分を持ち続けていることにかなりの驚きと、これで社会の中で働いているのかというちょっとの不安と、でもまあこれが兄の処世術でもあるのかもなあという複雑な感情を抱いたあの朝はなかなか忘れられない。兄はいつもこれなら私も生きていけるかもというどこからくるのか分からない自信を私に抱かせてくれるのだ。

コスタリカに来て家族のことをよく聞かれる。お兄さんは何の仕事をしているの?と聞かれても、就職活動をしたことのない私には兄の職種や会社が全く分からない。そもそもあまり興味がない。両親はコスタリカに来たがっているが、私が今後どこの国に行ったとしても兄が訪問してくることはないだろう。それでも兄は私の兄であり、一生家族であり続けるという不思議。日本に帰った時もきっと話すことは誰がどこのチームに移籍したとか、CLはどこが優勝しそうかとかきっとそんな話。

何の仕事をしているのか、成功しているのか失敗しているのか、とてもとてもどうでもいい。

ある程度健康で、好きなように生きていてくれれば。たまに父と母と出掛けたりして彼らの息子であり続けてくれれば。(今の私にはなかなかできないことなので)

もう背中を追いかけなくても私は私の世界を広げられるようになった。

期せずして少々長くなってしまったが、興味もない、特に仲良くもない、そんな存在だけど、たくさんの思い出と誕生日だけは一生忘れることができない不思議な不思議な人の話はこの辺で終わりにしておこう。Feliz Cumpleaños mi hermano🎉

大やらせ兄妹ショット
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