父離れ

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 8月14日、お父さんの誕生日です。

せっかくの誕生日だから父との一番の思い出を書いていこうかなと思ったのに、びっくりするくらいその思い出とやらが頭に浮かんでこない。パパ大好きっ子の私に限ってそんなはずはないとスマホの写真フォルダを遡ってみたけれど、やっぱり思い出せない。なんて薄情な娘。。

と思われるかもしれませんが、言い訳がちゃんとあります。

お父さんとの思い出があり過ぎるんです。

だって休日のお出かけも、買い物も、ドライブも、ランチもお茶もいつだってお父さんと行っていたから。改めてこうして文字に起こすとファザコン極まりなくて、ちょっと自分でも引くくらいだけど、事実だからしょうがない。

ちょっと話は変わるけど、よく聴くラジオ番組のある日の放送で、パーソナリティー(40代後半のおじさん)が娘さんとの小旅行について話していた。仕事で忙しい日々の中急に時間ができたため、その日の夕方の仕事に間に合う半日で箱根神社に行く計画を立てた。箱根に行く2日前、家族にそのことを伝えると奥さんは仕事でパス。すると、春休み中の娘が「行こうかな」と返事をした。娘の予期せぬ返事につい、「朝早いから起きられないだろう」と否定的な態度をとってしまい、娘も起きれたら行くと曖昧な返答。そこからパーソナリティーは、娘は本当に行く気があるのかないのか悶々としたり、一緒に行こうと言えばよかったと後悔したりで、出発の朝まで娘のことであたふたしっぱなしの時間を過ごす。

結局出発時間ギリギリになって、しっかりおめかしした娘が部屋から出てきて、2人で行くことになった箱根旅行。娘と行けることになった場合に備えてほぼ徹夜で練りに練っていたデートプランを引っ提げつつ、そのことは娘には悟られないよう偶然を装いながらエスコートし、ちょっとしたトラブルがありながらも楽しい1日を過ごすことができた。そんな1日がパーソナリティーにとっての「伝説の一日」(当時ダウンタウンの漫才で話題になってた)になったと締めくくられてトークは終わった。

パーソナリティーが1人の娘の父親として奮闘する姿にすごく感動した。思春期の娘への気遣いや気恥ずかしさ、娘の前ではカッコつけてしまうなど、父親側の視点がとても新鮮でそんな風に考えているのかとびっくりした。

同時に自分の父親との思い出についても考えさせられた。パーソナリティーは娘との旅行のために事前にダサイと思われないような服を準備したり、娘が好きそうなお店をチェックしたり移動中のトークまで準備していた(職業柄だろうけど)。

私と出かける時の父はどんなこと考えていたんだろう。普段から気を遣わせている自覚はあるけれど、カッコつけたり気恥ずかしさと葛藤したりしているのかはよく分からない。父はあまり喋らないので移動中用トークの準備をしたことはないだろうし、そもそもレストランやカフェでもきっと側から見たら仲悪いと勘違いされるくらい私たちは喋らない。でもお互いそれが心地良い過ごし方なんだと思う(少なくとも私は)。例えばあの時間、私はただぼーっとしてたり今日買った帽子はいつ被ろうかなとか考えたりしてたけど、父は何を考えてたのだろう。私がぼーっとしがちなのはおそらく父譲りなので、父も同じようにぼーっとしてたのだろうか。

父とのお出かけは圧倒的娘中心のそれで、買い物に行っても父は自分のものはあまり買わないし、食事の場所決めはいつも「花蓮何食べたい?」から始まる。で、なんでもいいって言うくせに提案されたらその気分じゃないとか言い出すワガママ娘にもとことん付き合ってくれて、いつも美味しいご飯にたどり着く。ちょっと高いものを買った時、豪華な食事をしちゃった時、「ママとりんちゃん(兄)には内緒だよ」が私たちの合言葉。(いつもばれちゃうけど)

免許を取る前も取ってからも運転席には常に父を座らせて永遠に自分の好きな音楽を流し続ける私。

優柔不断で悩み続けて買い物も店選びも時間がかかる娘を急かすことなくずっと待っている父。「これとこれどっちがいいと思う?」って聞いてもいつもどっちも買えばいいじゃんって言う父。そういうことじゃないんだよなあとまた悩み始める私。

私中心の世界にいつも父を連れ回していたけど、どんな気持ちだったのかな、楽しかったのかな、そんなこと考えたこと無かった。(どこまで自分中心なんだ私。。。)

大体いつも私があそこ行こうって誘っていた。だけどたまに父から誘ってくることがあった。それは大抵というか決まって私が落ち込んでいたり機嫌が悪かったりしたとき。さすがの私も、ああ気を遣ってくれてるなっていうのは分かっていた。その優しさに救われたことが何度もあった。

いつからだったか、いつかはこの安全と安心に包まれた絶対領域から出ていかなくてはならないと漠然と考えていた。一人で海外に来たのにもそんな思いが反映されているのかもしれない。

とはいえおじさんのラジオが大好きだし、夜は桑田佳祐の歌を聴いちゃうし、一緒に買いに行った服や帽子を身に付けるだけでなんだか安心するし、独り立ちへの道はどうやら険しいようだ。物理的には離れていても家族の存在が支えであることに変わりないのだと思い知る。

父にとっての「伝説の一日」はあるのだろうか。

もしあるのならちょっとほっとする。

もしまだ無いならこれから絶対につくることを約束する。

いや、あっても無くてもまたこれから何度だってつくれるのかな。そうなるともはや伝説とは言えないか。

でもそれでいい。パパと私の思い出は、明日が来ることが当たり前じゃないけど当たり前みたいな、そういうものだから。

誕生日おめでとう。長生きしてね。 私のために(笑)

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