朝、と言ってももう11時を過ぎている。気分転換に、朝から喫茶店で珈琲でも飲みながら作業しようかと寝癖頭を帽子で押さえ付け家を出た。
席についてからこの店にはWifiと電源がないということに気づいたが、上着も脱いで腰を掛けた以上店を出るのは至難の技だ。ペンとメモ帳もあるしオフラインで文章を書くくらいはできるので、それ以上ネガティブを増大させることなくメニューを眺めた。平日にも関わらず店内は混み合っており、優柔不断にとっては自分で呼ばない限り絶対に店員が来ないというのは大変有難い。しっかり悩み始める。見る限りフロアスタッフは2人のみで、この時間帯だから主婦の方だろうなと思いつつ、そういえば「パート主婦」というのはなんだかおかしな表現だななんてことを考える。パートで働いているのだからもはやそれは主婦では無いのではと思ったが、
主婦:一家の中で家庭生活の切り盛りを中心となって行っている女性
と検索画面に表示されたので、そうか専業主婦とはまた違う表現なのか、と特に納得にも不服にもならないところに着地した。
少し前にブラック校則やブラック企業などに用いられる”ブラック”という表現は差別用語ではないか、みたいな記事を見かけ考えさせられたことがあった。よくよく考えると、日本では物事の良し悪しや勝ち負けを黒と白で表現することが多い。けれど、私も含めそういう表現を使っている人のほとんどは差別意識を持っていないのだと思う。けれどその意識を持っていない方が問題なのかなとか考え出したらキリがなく、それ以来白黒以外にも差別やマイナスなイメージがありそうな言葉にいちいち引っかかってしまうようになった面倒臭い自分である。
なんてことを考えてたら結局注文完了に30分近くかかった。
今度は珈琲の漢字が気になった。メモ帳を取り出したついでに珈琲の漢字の由来を調べる。珈琲という字は、珈琲の木に実がなる様子からついたらしい。最初に漢字表記されたのは幕末だそうだが、珈琲の枝に実った赤い実が当時の女性が使用した「かんざし」に似ていることから、
珈:かんざし
琲:かんざしの玉をつなぐ紐
で漢字が当てられたそう。(※)
注文の商品が届き、珈琲とサンドイッチを頬張りながら色々と考える。程よい客数と程よい話し声はそれはまあ程よいBGMとなり、いつもは欠かせないイヤホンはポケットに入れたままにした。食べ終わったらさっきまで考えてたことをメモしようとペンを握るが、つい数分前のことなのにもう大体忘れてしまい、結局目に留まったことを書き連ねている。書きながらノートのリングがやたら気になってきた。普段リング式は使わないのだが、家に使われないまま放置してあったため、新しいの買うよりはと使ってみたものの、右ページの書き始めが気になって仕方がない。(左利きです)他のリング使用者は気にならないのだろうかとまたまた検索画面に向かう。すると、「リングノート 書きにくい」の解決方法記事がたくさん出てきた。やっぱ皆気になるんだなというのと、こういう細かな気になるポイントをすかさずブログ記事にする人ってすごいななんてことも思う。
やってみようかなという解決方法は、ページごとに上下を変えてリングに手が当たらない向きで使うというものだ。なるほどそんな手があったか。感嘆と同時に己の発想力の非力さに胸が痛む。グーグル先生に多大なる信頼を寄せている私だが、自分で考える力の減退をそろそろ止めなければ、と謎の危機感に襲われた。
店を出ると友達からラインが入る。初詣の行き先をどうするかの相談だ。ごめんよ友達。私はグーグル断ちをしなければならない。どうかこの決意が忘れ去られる数日後まで返信を待たれよ。(きっと明日には返信します。)
※参考:https://www.ucc.co.jp/enjoy/trivia/atcl046/#:~:text=%E3%80%8C%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%80%8D%E3%81%8C%E3%80%8C%E7%8F%88%E7%90%B2%E3%80%8D,%E8%A1%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82