今日は東日本大震災から11年目の3月11日。
つい最近、湊かなえさんの「絶唱」という本を読んだ。
この本は複数の短編集から成るのだが、各登場人物がトンガという国で過ごした時間を主軸に物語が広がっていく。登場人物は皆直接もしくは間接的に阪神淡路大震災と関わりがあり、各々が震災で負った傷や経験にトンガで過ごす時間が様々な影響を与えていく模様が描かれている。はっきりと明言はされていないようだが、この本は著者の実体験をもとに書かれた小説と言われているようで、特に最後の章では私小説要素がかなり強くなっている。
内容の説明はここまでにしますが、あらゆる場面で心が心地よくも苦しくもギュッとなる素敵な本なので気になった方は読んでみてください。
なぜ唐突に「絶唱」の話をしたのかというと、この本を読んで震災や世界で起こる悲惨な出来事に対する自分の向き合い方についてとても考えさせられたからだ。
最後の章の主人公(おそらく著者本人)は震災当時兵庫県に住んでいたが、自身は大きな被害を受けなかった。それ故震災について自分は語る資格はないと長年震災について誰かに話すことを拒み続けていた。本の中で、震災において大きな被害を直に受けた人と確かに震災を経験したけれどさほど被害を被らなかった人、両者を「境界線」という言葉で区別していた。話すことを躊躇う主人公に震災の話を聞き出そうとする人々とのやりとりのシーンでこんなセリフがある。
「・・・大変でしたね、と続き、私は(僕は)あのとき~、と自分のことを語りたがるのは、境界線のもっと外側にいた人たちばかりなのです。」
読み終わってから自分も境界線の外の人間であると自覚した私はなんて難しいんだと、おそらく答えのない問いの答えを考えている。阪神淡路大震災は自分が生まれる前の出来事。そして、東日本大震災の時、11歳の私は東京にいた。もちろん東京も大きく揺れた。あの時の揺れ以上の地震は未だ経験していない。まだ学校にいた時間だったので、グラウンドに避難したこと。泣いている子が何人もいたけど、私は涙が出ないくらい何が何だか分からない状況にただただ呆然としていたこと。電車が動かず父が会社から帰って来れなかったこと。母が仙台に住む友達をしきりに心配していたこと。ニュースの映像。津波、火事、家屋倒壊、見たことのない景色。福島の原発事故が報じられても当時の自分にはそのやばさが分からなかったこと。記憶はどんどん薄れてしまう。まだ鮮明に残っているものもあるけど、思い出そうとできることや思い出したところで悲しいけれどそれ以上ではないのは境界線の外の人間だからだろう。
正直ここで書くこともうまくまとまらないし、どうすればいいのか分からないお手上げ状態だが、著者がこの「絶唱」という小説をまさに絶唱するように書ききり、震災について語ったその様にただただ胸を打たれた。この本に出会えて良かったと心の底から思う。
そしてこうした境界線の内を知る人々の発信を受け取ることが今の私にできる精一杯だとも感じた。私はまだ境界線の内側の人間になるような悲しく辛いような経験はしたことがない。本やニュース、映画や音楽からリアルまたはリアルに限りなく近い様子を学ぶことしかできない。でも、学ばせてくれる作り手がいることに敬意と感謝をもってそれを受け取っていきたい。
被災した人々に寄り添おうとか助けてあげようとは安易に言えない。傷つけたくないのに傷つけてしまうかもしれない恐怖すら感じる。「忘れない」「忘れてはいけない」と言えるのは忘れたくても忘れることのできない人々以外の人たちなのかもしれない。
でもそれが境界線の外側の私の使命ならば、果たせるように努めていきたい。
2022.3.11 14時46分 合掌