私は「部外者」か

サッカー

Hola!いつも読んでくれてありがとうございます。

日々世界ではさまざまなことが起きています。女子サッカー界の新たな歴史の誕生に喜んだのも束の間、ウクライナでは戦争が始まり計り知れない悲しみや怒りが世界中に波及する昨今。今回はそんな世界の移り変わりの中、どの立場に自分がいるのか、目の当たりにできない現実において私は「部外者」なのか?ということについて考えてみました。少々長いですが、ぜひ最後まで読んでみてください。

先週、女子サッカー界にとっては嬉しいニュースが届いた。数年に渡り続いていた男女格差の是正を求める女子サッカー米国代表選手らの訴訟において、連盟との和解が成立したのだ。

ことの始まりは2019年。女子サッカーの米国代表選手28名が米国サッカー連盟を相手どり代表活動における給与やサポート体制に性差別があるとして訴訟を起こした。訴訟を起こした選手らは女子チームの処遇改善、賃金格差の是正、賠償金の支払いを求めた。そしてついに2月22日、米国サッカー連盟と訴訟を起こした女子代表の間で和解が成立し、要求の三分の一となる賠償金の支払いや、W杯を含む全代表活動の男女の報酬を同額とすることなどが世界中に報道された。

私が米国代表選手の訴訟について知ったのは、コロナによる一番最初の自粛期間中だった2020年の春ごろだ。たまたま新聞で読んだのがきっかけだった。しかし当時の記事には、訴訟内容の一部和解が成立したものの賃金格差については棄却と書かれていた。一部和解した内容とは、遠征時の宿泊先や移動手段等の代表活動における処遇の男女平等化である。当時の私は、そもそも訴訟になるほどの処遇の男女差が、あれほどの結果を出し続けている米国代表に存在していたことにまず驚いた。また、賃金格差についての訴えが認められなかったことについては、これは無理だろうななんて軽く思った程度だった。

あれから約1年半後、当時の私が適当に諦めた格差是正の戦いに米国女子代表は勝利した。正直今回のニュースを知るまで訴訟のことは忘れていた。おそらく私が憶えていようがいまいが訴訟の結果は変わらない。だけど、この便利な世の中で情報が届く限り、知ること、そして考えることをもっとしなければいけないと感じさせてくれる報道であった。今日もまた、世界のどこかで私の知らない誰かが少しでも女子サッカー界を良くしようと戦っている。そして私は彼女らまたは彼らの部外者ではない。知っているところでも知らないところでも確実に恩恵を受けているからだ。訴訟を起こした米国代表選手28名は、結果的に賠償金の支払いや処遇改善を与えられたが、彼女らが実際にそれらを享受するのは僅かな期間だろう。訴訟を起こした米国代表選手28名の行動が、今後何十年何百年と数えきれないほど多くのサッカー少女たちの未来を支える。歴史を変えるとはこういうことだと学ばせてもらった。

今日も誰かが戦っている。差別や格差に苦しんでいる。戦争が始まり、何の罪もない尊い命が失われている。世界の不条理を知った時、いつも平和ボケしている自分を自覚させられる。距離があるとしても同じ地球上で戦争が起きている。そういったニュースが文字で、写真で、映像で、平面でしか知覚することができない。心がどんなに傷んでも、私が傷を負うことはない。性差別についても、きっとこの22年間で差別されていることにすら気づかなかったことが何度もあったように思う。きっと知らないうちに誰かが護ってくれたのだろう。きっと多くの人も感じてるであろう無力感というものを私も感じている。自分は「部外者」だと思いそうになる。

しかし、最近になってようやくわかってきた事もある。それは、日々巻き起こる様々な事象において、自分が「部外者」だと感じるのは勘違いであるということだ。そして、部外者ではない以上自分にも誰かを助けたり、誰かがいつか歩くかもしれない道を整備したりできるということだ。

自身の経験を活かして、スポーツや教育界の暴力根絶のために戦う母を見ながらずっと感じていた。私は誰に寄り添うことができるのだろうか。何と戦うことができるのだろうか。先生やコーチに叩かれたことなんてなかった。女だからと馬鹿にされたこともなかった(気づかなかっただけかもしれないが)。平和ボケしている自分がぬるま湯から抜け出して、世界をより良くする一助になることができるのか不安に思っていた。しかし、平和ボケしてしまうくらい安全で快適な環境で育ってきたことこそが、私が「部外者」ではないことを物語っていた。過去に母のように戦う人がいたからこそ私は殴られずにサッカーを好きになることができた。女性蔑視に声を上げた人たちがいたからこそ、私が性差別に傷つけられることはなかった。もちろん体罰は無くなっていない。男女の格差はあらゆるところに存在する。今もなお戦いは続いている。米国代表の喜ばしいニュースを前述したが、その戦いも完全には終わっていない。賞金や賃金の未払い問題は残ったままであり、同額報酬についても本当に実現するのか否かはこれからである。代表の中には報道されているような大勝利ではないとの見方をしている選手もおり、今後の動向を見ていく必要がある。身近なところに目を向ければ私には社会での生きづらさを抱えている友達もいる。これまでの私はたまたま戦いがひと段落したところで育ったというだけだった。私に必要だったのは、経験できなかったことを不安に思うことではなく先人たちから受けた恩恵を自覚することだ。そして今を知ること。何が起きているのか、誰が戦っているのか、なぜなのか。少しでも多く知ることで、いつか自分の目の前で起こるかもしれない危機に備える。今具体的に私には何ができるのか、人に賞賛されるようなことは全く思いつかないけれど、今回いろいろと調べて知ったことや考えたことによって、5年後、10年後の自分が何かしらのアクションを起こしているかもしれない。何をすればいいのか分からない時には、こうした未来へのきっかけづくりをしておこう。それが今の私がたどり着いた一つのオプションである。

今多くのサッカー選手も声をあげている。バルサの試合を見たら、試合前には「STOP WAR」の横断幕と共に写真を撮る選手たち、試合中もテレビ画面にはスコアの横に「STOP WAR」の文字が映り続けていた。日本ではロシアでプレーしたことがある本田圭佑選手が頻繁にツイートしていた。こういったプロの選手たちのアクションを世界中の人々が、若者が、子どもたちが目にする機会があることは平和な未来への希望になると私は信じている。

ならば私も、たとえ世界中に響かなくともこのブログを読んでくれる僅かな人々に向けて声をあげたい。誰かのきっかけづくりになることを願って。

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