REGALO

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 電車で騒いでいる子供たちがいたら見て見ぬふりをせず注意をする。

道端で困っていそうな外国人がいたら声を掛けて助ける。

いつの間にか不良になってしまった近所の少年にも変わらず挨拶し続ける。

私や兄の友達、父の友達、自分の友達をよく家に招いては気前よくもてなす。

色んな人の相談に乗り、おせっかいを厭わない。

どこに行っても顔が似てると言われる。コスタリカのチームメイトにも言われたほどだ。しかし内面はあまり似なかった(と思っている)。なぜ母はこんなに社交的で快活なのに私は人見知りでハキハキしていないのか小さい頃は不思議だった。(後に父の方に似たのだということが分かる)

私にとって母はこうなりたいと思わせてくれる大人の一人だ。小さい頃からどんな時も自分の意見を持てたのは母を見て育ったからである。

母はずっと自分の意見や思いを言葉にして人に伝える仕事をしている。自分の思いだけでなく、他人の人生や考え、思いを言葉にして伝えることもしている。2年前、母の本がドラマ化された。不慮の病におかされた将来有望のバスケット少年がもう一度コートに立つまでの軌跡を描いたノンフィクション。最初に本が発売されてからもう何年も経っていたが、ドラマ化によってさらに多くの人にこの物語が知れ渡ることとなり、母の仕事によって主人公の人生の一部が多くの人に伝えられたという事実に改めて母の仕事を誇らしく感じた。

今のご時世、その先を考える必要のない動画、どうでもいいゴシップ、大量生産大量消費のための情報に自分も含め人々は食い付く。顔も名前も出さないような人が表舞台に立って伝える勇気を持った者を平気で傷付けていく。そんな”メディア”という宇宙のようなフィールドで何年も何年も戦う母を見ていると、サッカーコートで90分間走り続けることなんて大したことではないと思えてしまう。

人生で一度も間違わない人なんていないということを私に教えるように、母は社会や教育環境、スポーツ現場に対して疑問や意見を投げかけ続けている。攻撃のための批判ではなくその先のより良いのための批判。自分自身の仕事に対してもスクラップアンドビルドを繰り返している。過去の辛く嫌な経験を他人には自分と同じ思いをしてほしくないと考える人と、他人にも同じことをしてしまう人、2種類の人間に分かれるが、母は前者の人間だ。そんな母に救われた人、これから救われる人が私を含め数えきれないほど存在することには頭が上がらない。

ぶつかることも多かった。今思えば悲しいくらい圧倒的に私に非がある。いや、悪いのは自分だと分かりながら目を背けていた。気遣いや我慢から解放されるのは家の中だけだったから、自由奔放に過ごしすぎていたのかもしれない。

謝るのはいつも母の方だった。私は「ごめんなさい」がいつも言えなかった。喧嘩が終わる度に心の中でごめんなさいが言える大人になろうと思った。

親は子供にとって親であり、人生の師だ。学校の先生や周囲の大人、友達や先輩、人生にはたくさんの師が現れるけれど、私にとっては両親に教わることが最も自分に影響を与えていると感じる。

どこに進学するか、どこでサッカーをするか、ああしなさい、こうしなさいと言わず、常に自分で選択する自由と責任を与えながら育ててくれた。

母の友達や仕事関係の人がよく家に来ていたが、どの人も母のことが好きで母をとても頼りにしているのだということが子供の私にも分かった。人に頼ることより頼られることの方が多い人生というのはだいぶ大変そうだ。人はどんなに成功していてよく見えていても、誰にだって色々あるのだから。それでも頼られる方の道へ迷いなく進んでいく母は本当に逞しい。絵に描いたような最強母ちゃんではない、母なりの悩みや苦労を知っていてもなお私の目に映る母は逞しく、眩しいのだ。

一緒に映画やドラマを観ている時に話しかけてくるからイライラしてしまうけど、それでもやっぱり一緒に観たい。観終わってからそれについて話すのが楽しい。温泉に浸かりながら教育やスポーツについて話すのも、兄や父の愚痴を言い合うのも、”母と娘”という唯一無二の関係に生まれる大切で大好きな時間。海外生活で頻度は減ってしまうけど、時間の限りそんな記憶を更新し続けたい。

今一番欲しいものは?と聞かれたら、それは

 母のご飯

と真っ先に答えよう。

6月15日、誕生日おめでとう

健康で幸せな一年になりますように。

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