20分は待つうちには入らない

生活

Hola!こんにちは!

さて、今回は誰の参考になるのかも分からない私のコスタリカでの生活の模様をお届けします。

コスタリカにきてからちょうど4ヶ月が経過し、初めは目に付くもの全てが新鮮で驚きの日々だったが、今ではそれも当たり前の景色になり馴染むものだなあと実感。

まず私が気に入っているのは、コスタリカの天気。本当に毎日天気が良く暑すぎず寒すぎずとても過ごしやすい。南国のような暑さを想像されるかもしれないが、例えるなら日本の春から初夏のような天候だ。さらにコスタリカは山が多く、ちょっと標高が上がると涼しい超えて肌寒かったりもする。朝晩は長袖が必須なくらい冷え込むが、日中は半袖で過ごせるため日本の猛暑や蒸し暑さとは無縁の国である。なにより、空がとても大きい。首都のサンホセには高層ビルやホテルが多くあり多少高い建物が増えるが、私の住む地域は高い建物がほとんどないため空がとても大きく感じる。視野の高さから空が見えるため、空を見上げるということがない。東京の空が狭いとは東京に住んでいた時には全く考えることがなかったし、こんなに空や街の景色を好きになるなんて自分でも意外だった。

天気以外にもコスタリカの生活は日本と違うことばかりだ。日本と比べると野良犬と野良猫の数が逆転している。また、放し飼いの放し具合がすごいので野良かと思ったら自分で勝手に家の中に帰っていく時もある。飼われている犬もとても多く、住宅街を歩いていると尋常じゃなく吠えられる。お化け屋敷のお化けやゾンビの怖さよりもワッと驚かされるところが嫌いな私にとって、非常に心臓に悪い道である。もう何度も通っている道なのに毎度全力で吠えられるため、今では吠えられるストレスよりもこれほど吠えなければいけない犬たちが可哀想に思えてしまう。。街の様子や生活を一言でいうと、少し前の時代の生活感がコスタリカにはある。反対に、コスタリカにきて日本がどれほど便利で発展した、他人が作った安心安全に護られている国かということがよく分かった。ここでは交通インフラの整備があまり進んでおらず、道路が凸凹していたり穴が空いていることもよくあるし、穴があれば車は避けて通るため車線は普通に無視される。横断歩道や信号も少なく、初めの頃はいつどこで道を渡れば良いかわからず、一緒に渡りそうな人が来るまでもじもじ待っていたこともあった。(今では渡りたそうな雰囲気を醸し出し止まってくれた運転手にペコっとしてからスムーズに渡れるようになった)分離帯も何もない道の真ん中でお菓子や小物を売り歩く人がいて、信号待ちをしていると「買わないか?」と言ってくる。電車は滅多に走っているのを見かけないが、一応線路は通っていて剥き出しの踏切が危なっかしい。コスタリカは小さい国なので、車があれば基本どこでもいけるためその他の移動手段があまり発達していないように感じる。バスがたくさん走っていて、私も一人で出かけるときはバスを利用することが多い。このバスもまた曲者で、まあ時間通りに来ない。バスのルート検索ができるアプリを発見し、それで検索してからいつもバスに乗るのだがもちろん時間通りに来たことはないし、ごく稀にバス自体が来ないという珍事も起こる。常に20分以上はバス停で待つことになる。先日、家に帰ろうとバスを待っていた時に、気づいたら1時間過ぎていた時にはコスタリカに染まってきた自分にちょっと嬉しいような可笑しいような感覚になった。(結局その後15分経っても来ずタクシーで帰った)時刻表は100%信用できないけれど、よほどのこと(1時間15分以上バスが来ないとか)がない限りは運賃がとても安いバスを使いたくなってしまう。距離によっても違うのだが、大体40円~120円くらいで20分~30分の距離を移動できる。なかなか来ないバスを待ちながら一応アプリで個人タクシー(Uber的な)の値段を確認し葛藤することもあるが、じっくりバスを待てる余裕のある生活って贅沢だなあなんて考えながら結局待ってしまう。

コスタリカで生活していると、ふと便利さについて考える。より便利なものと比べて不便だと捉えると不便さがストレスに感じたりとても悪いことに思えたりする。しかし、目の前に便利(または不便)とより便利が二つある状況でより便利を選べないとなるとそれはストレスに感じてしまうかもしれないがはなから、便利ではなくともそれしか選択肢がなければそれが自分の当たり前になるし、それが快適な生活になる。時間はかかるけど目的地にたどり着くバス。ボタンをワンタッチでは終わらない洗濯機。(水の入れ替えや脱水機への入れ替えを自分でやる旧式のもの)スマホは3G回線。10分ちょっと歩いて行くスーパー。コンビニや自動販売機が無くても、トイレットペーパーを流すことができなくても、問題なく「生活」は進んでいく。ゆったりという言葉がふさわしいコスタリカでの生活を私はとても気に入っている。当たり前のことかもしれないが、便利さは生きるためとイコールにはならないのだということを、日本にいた時よりも大抵のことが不便である生活が当たり前になった今の自分に証明されている気分だ。それでも人は便利さへの追求をやめないし、便利さは特大のビジネスであり進化の象徴でもあると私は思う。人間の性と言っても過言ではないかもしれない。だが、時として人と人のつながりや昔ながらの不変的な物事が重んじられることがあるように、テクノロジーの進化や発展よりも人が生きるために必要なことがある。ということを頭のどこかに置いておくための絶好の経験をしているんだと都合よく解釈し、私はまたバスが来るまでの20分を過ごす。

タイトルとURLをコピーしました