コスタリカという国にきた。
初めての海外生活。初めての一人暮らし。
こっちに来てから何度も思った。もしコスタリカに行くと決めたあの時に戻れたとして、同じ選択は絶対しない。しないというかできない。これから何年経っても、どんな人間になっていても、あの時の自分に捧げる言葉は、「お前、すごいな」これしかない。
コスタリカに来て本当にたくさんのことを感じた。ものの見え方や考え方、価値観といったものが”変わった”というよりは、分からなくなった。決めつけられなくなったというべきか。
ドアを開けっぱなしで走るバス。
バーで散々飲んだ後に車に乗って帰っていく人々。(どうやら違反ではない、、?)
タトゥーだらけのチームメイト。
レジに並びながら精算前のお菓子ぽりぽり食べてるおじさん。(後払いでOKらしい)
朝6時に登校する小学生たち。
普通にサラダ食べてたら”めっちゃ野菜大好きなやつ”になった。
5本指ソックス履いてたらなんだそれってひと盛り上がり。
日本とは全く違うことがその国にとってはスタンダードであり、”ありえない”って思っていたことがさも当然に行われている、逆も然りで私のスタンダードがコスタリカの人々に不思議に思われる。そんな瞬間に出会った時の驚きとゆで卵の殻が綺麗に剥けたくらいのちょっとの快感を私の人生は求めているのだと最近気づいた。
コスタリカに居ると自分が人からどう見えるか、どう思われるのかとかそういう色々な事が気にならなくなる。会話においては気にならないというか言語能力的に気にする事ができないというのが正しいかもだけど。。
街を歩いていると様々な人を見かけるが、こんな格好で外に出て大丈夫かなとかを考えたことなんてないんだろうなという人ばかり。例えばタレントのフワちゃんは日本だとかなり特異な存在に感じられるけど、外見だけで言えばフワちゃんのような人はごく自然に見かける。服がカラフルだったり露出の多い服を着ている人はたくさんいる。あとは、体型を気にした服装というのもあまり感じられない。痩せてても太ってても自分の好きな服、着たい服を着ているんだろうなと感じる。日本人を見慣れているとこちらの肥満率や太っている具合は規格外である。人にどう思われるかを気にしない、気にされない、みたいなことが実は肥満率を上げているのかなとか、逆に痩せている方が可愛いorカッコいい、綺麗だみたいなバイアスが日本人の健康を維持してくれているのかなとか、こころの健康と身体の健康を両立するにはやっぱスポーツかぁとかそんなことをたらたら考えれば、スーパーまでの往復1時間もあっという間だった。
他には、自分が外国人になるというのも特別な経験になった。外国人という言葉を20年以上他者に向けて使うのが当たり前だったのが自分に使われるというのは不思議な感覚だ。
日本にいる時も何かと少数派になってしまうことが多かったけど、外国に来てそこで生活するというのは少数派どころの話ではない。時にそれが無敵感を持たせてくれて街で知らない人に話しかけられるのがすごく嬉しかったり、ネットの繋がらないスマホを持って遠出できたり。
時にはそれが恐怖心にもなることもあった。
コスタリカには中国人が多くいる。日本でいうコンビニのような町の小さいスーパーはほぼ中国人が経営しており、それらはスーパーマーケットではなく「CHINA(チナ)」(中国人という意味)と呼ばれている。それほどに中国人が多く在住しているのだが、中国人に対するイメージ(?)はあまり良くないようで、実際に見かけるコスタリカ人の中国人に対する態度もどこか冷たくて小馬鹿にしているような印象があった。こっちの知り合いにも、中国人は嫌われてるけど日本人のことはみんな大好きだからあなたは大丈夫、なんてことを言われた。
そう言われて正直自分がどんな気持ちなのか、どんな感情を抱けばいいのかよく分からなかった。もし過去に一度でも人種差別を受けた経験があったらきっとすごく安心したのかもしれない。でもその経験はないし、自分の中に他者に対する差別意識もない(無意識なものもないと信じたい)ので、相手が私を思って言ってくれたことだとは思うが、素直受け取ることはできなかった。
日本のアニメや食文化はコスタリカでとても人気がある。だから日本人に対するイメージも好意的なものになるのだろう。
しかし、コスタリカ人にとってアジア人はほとんど見分けがつかないようで、私もよく中国人に間違われる。中国と日本、韓国など各国で違う言語が用いられていることも知らないようでアジア人は皆中国語を話すと思っている。
その程度の認識なのに、中国人は嫌いで日本人は好きと堂々と言われることは、自分の人種に関係なく何だか怖かった。喋ったこともないのに、何も知らないのに、否応なく嫌われるというのはとても悲しいことだし、そういうことをしてしまうことも何だか悲しい。日本人である私に優しくしてくれる人が多いし、その優しさに何度も助けられた。コスタリカ人はとにかく人当たりが良く他人に優しい。平和に穏やかでいることをみんなが大事にしている雰囲気があり、それがコスタリカ人なんだと誇らしそうに語る人もいた。だからこそ余計特定の人種を毛嫌いする様を見たくはないなと思う反面、「それはそれこれはこれ」が成立してしまう差別の根深さを思い知らされた気もした。
どこの国であれ、その時その場所でしかできない経験を積んでいけることはとても幸せなことだ。もちろん楽しいことばかりではないけれど、全ての経験が今の自分を創っていると思うと、過去の自分、関わった人々に感謝するほかない。
外国で生きるには、何をするにも勇気が必要だった。それはここに来ることを決めた時のような大きな大きなものから、ぎゅっと手を握りしめて踏み出すくらいの小さなものまで。
初めてバスに乗る時、初めてのお店、チームメイトに反論した時、困っているおばあちゃんに話しかけた時。
どうにも通じなくて諦めたこと、入れなかったお店、間違えられたお高めお肉。 手に力が入らないこともあった。
それでもそんなことを繰り返して、いろんな勇気を積み重ねて、また未来の自分がすごいなって感謝してくれたら、それで人生十分なのかなぁなんてことを思う今日この頃。
コスタリカは人生について考える場所なんでしょうか。幸せそうな人を見る機会が多いからでしょうか。
コスタリカの合言葉”Pura Vida”の意味を肌で感じたそんな日々でした。
ではまた!