もうすぐ誕生日だった。誕生日、一年の中でただ一日私の私による私のためのイベント。(なんか違う気もするけど)
贅沢に、幸せに、そんな時間を過ごせるように予定を立てようと決めた。誰にも咎められず、縛られず、ただ時間を使う。何も生み出さない、お金にもならない、他人のためになるようなこともないけれど、どうでも良いことを考えて自分の内に豊かさを感じる。そんな時間が贅沢だなあと思う。だからそんな時間を過ごそうではないかと。
ずっと行きたいと思っていた相田みつを美術館に行ってきた。
平日の昼間で来場者は少なかった。いくつかの展示室を順に歩いて回るのだが、各展示室で多くても二人くらいにしかならず、最高の鑑賞環境だった。
額に入れて飾られた言葉たちを一つ一つ読み歩く。散歩しながら本が読めたら良いのにと常々考えている私だが、今まさにその状態じゃないかと途中で気づいてより一層楽しくなった。
さてそろそろ本題に入ろう。今回は誕生日の思い出話を書きたいのではない。四年に一度の祭典サッカーW杯への個人的な願いを書きたかったのだ。
飾られた言葉の一つ一つにありとあらゆる刺激をいただいてきたのだが、その中の一つに柔道の受け身についての言葉があった。
柔道の基本は受け身であり、まず初めに受け身を教えられる。人の前で転ぶ、人の前で負ける、その練習をひたすら繰り返すということらしい。体育の授業で確かに受け身ばっかりやらされた。あれはそいうことだったのか。そんなこと先生は一言も言ってなかった気がするけど。。
(気になる方は「相田みつを 受け身」でぜひ検索を)
額に入った文字たちに、「お前は負け方を知っているか。負け方を、その先にあるスポーツの真の面白さを、誰かに伝えられるのか。」そう問われているようだった。
コスタリカで何度も見た、日曜日の昼間に草サッカーを楽しむおじいちゃん。放課後公園で一緒にボールを蹴る中学生くらいの男女。あらゆるところで性別や男女を超えてサッカーが楽しまれている光景が羨ましくてしょうがなかった。なるほどなあ。彼らは負け方を知っていたのか。時には無様に転んで、恥を晒すことがあってもそれがスポーツなのだと、gameなのだと。どうしたら日本でサッカーが文化になるのか。スポーツにおける勝ち負けとは?楽しいとは?答えの見えないたくさんの問いへの入り口に立てた気がしなくもない。まずはまけることの尊さをわかりたいと思った。負けず嫌いを語るのはそれからだ。
世界中の子どもたちの目にW杯はどのように映るだろう。カタールでのW杯開催。報道によれば目を覆いたくなるような問題がいくつも出てきており、これから次々に生まれるであろう名勝負も名場面も手放しでは喜べない状態になってしまっている。サッカーだけでなく、スポーツはどんどん政治に、商業に、権力に飲み込まれてしまっている。でもこの問題に向き合うのは私たち大人の仕事だ。
子どもたちにはサッカーW杯を、世界中がボール一つに熱狂する様を、ピッチ上の景色をそのままに楽しんでほしい。2010年南アフリカW杯決勝、イニエスタの決勝ゴールに心奪われてサッカーと生きることを決めた10歳の少女がいたように。