第1部 女子サッカー史
- 第1章 はじまり
- 第2章 最初の公式試合
- 第3章 ディック、カーレディース
- 第4章 慈善興行
- 第5章 禁止令
- 第6章 不毛の50年
第1部では、最初の生起から、2度の世界大戦による女子サッカーの勃興と衰退が書かれている。
1881年5月9日、エンジバラのイースターロードで公式記録として初の女子サッカー国際試合だと広く考えられている試合が開催された。
1895年、イングランドで初の女子サッカークラブ「ブリティッシュ・レディース・フットボール・クラブ」が発足。
「でも、ブリティッシュ・レディース・フットボール・クラブは決しておふざけではありません。昨年後半、女性は男性たちが思っているような”役立たずでお飾りにすぎない”生き物ではない、ということを証明しようという固い信念のもとに、この組織を立ち上げました。この社会では、男女があらゆる面で分断されてしまっています。それを変えるために、女性たちは解放されるべきである、という信念を私は抱いています。(後略)」
第2章p.32
創設者ハニーボールが立ち上げ時にインタビューで語った言葉には、サッカーの枠を超えた、女性の未来へのメッセージが強く込められている。
しかし感動だけでは終わらない。当時、女子サッカー、そして女性参政権獲得運動に参加した女性たちは、社会規範をはみ出したとされ、暴力や性的暴行を受けたという。1881年の最初の試合以降の数試合でも、暴徒の群れが押入り妨害を受けた。到底信じがたい記述だが、これもまた事実である。それでも女性たちはサッカーをやり続けた。これ以上に”サッカー”の魅力を物語る出来事があるだろうか。
第3章以降、”戦争”が女子サッカーの発展を左右するキーワードとなる。女子サッカーひいては女性が権利を獲得していく過程に、どのような社会背景があるのか、その基礎を教示する重要な部分だ。
女子サッカーが取り組んだ慈善興行がどのような結果をもたらし、なぜFA(反対勢力)から禁止令などという非情で荒唐無稽な仕打ちを受けなければならなかったのか。
嫉妬?恐怖?プライド?、女子サッカーの反対勢力について考察を深めることで、あなたの社会の見え方が変わっていくだろう。
第2部 新しい時代へ
- 第7章 上げ潮
- 第8章 国際大会のはじまり
- 第9章 いよいよ公認競技へ
- 第10章 女子サッカーのパイオニアたち
- 第11章 時代が後押しする
- 第12章 オレンジ軍団
- 第13章 流れを変えた大会
第2部は、女子サッカーが新しい時代を切り開いていく激動の期間が、どこまでも濃密に、リアルがよりリアルに、綴られている。当時の温度感が紙から手に伝わってくるかのように。
1960年代~70年代は、欧米の幾つもの国が女子サッカーを多角的に牽引した。米国で発生した第2波フェミニズム運動がその皮切りとなる。社会と政治が変動する中、歴史的な抑圧にも屈せず、女子サッカーの人気は徐々に高まっていく。FAはとうとう女子サッカーを無視することができなくなり、 1971年、51年続いた禁止令を解除。翌年に女子サッカー競技として正式に認められた。
第8章ではイタリアが国際大会の開催を牽引し、プロ化への可能性を示した。
FIFAの抑圧を跳ね除け、1984~88年までに4度の国際大会を開催し、成功させたイタリアの功績は非常に大きい。大胆で露骨な宣伝手法や協会、組織からの嫌がらせを潜り抜ける様はドラマチックでさえある。
女子サッカーの歴史を通して、国際大会はつねに成長促進剤になってきた。女子サッカーを支える人たちの決断力、勇気、闘志と勢いが女子サッカーを発展させたが、そういった精神力だけでは規模の拡大は望めない。国際大会の開催は、女子サッカーの競技としての質を飛躍的に向上させ、認知度を高めた。
第8章p.109
著者のこの記述が、数ヶ月後に開催を控える2023女子W杯に大いなる期待と価値を上乗せする。
第9〜10章では、1972年に可決されたタイトルⅨが米国の女子サッカーをどのように急成長させたのか、そしてスカンジナビア諸島と北欧諸国が、当時から現代まで女子サッカーを牽引する理由が読み取れる。同時期にアジアでも女性解放運動が活発化。1988年に非公式ではあるが、FIFAが初めて女子サッカーの国際大会を中国の広州で開催した。
第11章からはリーマンショック以降、英国の転換点となった2012年ロンドン五輪、そして2015、19年の女子W杯(カナダ、フランス)の模様が、当時の社会背景と絡み合いながら描かれる。
社会の変化に、女子サッカーの国際大会は大きな力を与えた。英国では女子サッカーが、人気、実力ともに急激な高まりを見せ、2017年にはついに、FAがこれまで女子サッカーに与えてきた自分たちの仕打ちについて謝罪するまでに至った。
「(前略)私は全力でこの計画に取り組みます。(中略)もっと多くの女の子たちが、自分たちはリーダーになれると信じてほしい。コーチや審判や理事をめざす女の子たちがもっと増えてほしい。私たちがサッカーというブランドを、女性たちの可能性を高める方向に変えるように用いたいのです」
第11章p.154
これは2016年、女子サッカーの振興についに本腰を入れ始めたFAから、その施策のトップに任命されたスー・キャンベル男爵夫人が、計画案、「成長のための行動指針(ゲームプラン・フォー・グロウス)」を発表した際の言葉である。
この計画の内容や経過、問題点等が数ページに渡り詳細に記されており、女子サッカーが持つ強大な可能性をどうしたら引き出せるのか、大変参考になる資料だろう。
2019年女子W杯フランス大会~2020東京五輪の様子が、英国代表を軸に書かれた第13章は、記憶の中の映像と合わさり、ドキュメンタリー映像さながらの鮮明さで読み進めることになるだろう。2019W杯における著者目線の、日本代表への酷評を苦笑いで読み終えると、オリンピックにおける女子サッカー競技の重要性が語られ、2020東京五輪がコロナ禍で延期してでも開催されたことが、章の最後の締めくくりに特筆すべきことして書かれている。
第3部 変革の時
- 第14章 プロ化への道
- 第15章 国内リーグの改編
- 第16章 最高の選手たち
- 第17章 観客を増やすための課題
第3部は各章のタイトル通り、女子サッカーが持つ潜在能力をどのように発揮し、持続可能な”文化”にしていくのか、その道のりを近年の流れを追いながら考察していく。欧米を中心に、各国の取り組みや体制の良い部分から、深刻な問題やリスクについても、包み隠さず書かれている。
第16章に記された、世界で活躍する女子サッカー選手たちやそれに関わる指導者らの生の言葉には、心が震えた。特に2019W杯での、ブラジル代表のマルタによる敗戦後のスピーチは、私の記憶にある女子サッカーシーンで最も強烈に心に残っている。
提言 −飛躍に向けて
女子サッカーは男子サッカーよりも、多様な人々や考え方を受け入れてより開かれている。(中略)女子サッカーの世界はより進歩的なのだ。進歩的な考えを持っている人たちが支援していることで、女子サッカーはこれからもっと多くのファンを引きつけるであろうし、その規模はより大きく、より多様になるはずである。
提言p.251-252
これほど力強く、明確な言葉で女子サッカーが語られることに、勇気をもらわずにはいられない。
提言では、女子サッカーが社会に与える影響力、在り方を、痛ましく腹立たしい事件が次々と湧き上がる社会情勢を提示しながら、検討していく。女子サッカーを取り巻く社会、リスク、援助、可能性、人々。そして著者は常に、私たちにも問いを共有してくれる。著者が求めているのは、この本を読んだことで私たちが満足感で胸をいっぱいにすることではなく、一冊の中に満遍なく散りばめられたクエスチョンに対して、まずは読者自身が、声を持つことではないだろうか。
日本女子サッカー小史 訳者あとがきにかえて
私たち(日本人)がこの本を読むにあたり、最後に短くはあるが、加えられた日本女子サッカーの歴史についての記述は非常に貴重である。あれほどに濃密で、躍動感のある欧米における女子サッカーの歴史を読んだ後にこれを読んでみたら、きっと知りたくなるだろう。2021年にプロ化を果たした日本の女子サッカーは、どんな道を歩んできたのか。どんな闘いを経験してきたのか。これからどうなっていくのか。(次ページへ)