中断は新たな自分との出会いなり

サッカー

私には夢がある。そして、その夢を叶えるためのビジョンがある。
大学4年、21歳の夏。夢に近づくための大きな一歩を踏み出すことができた。その経緯をここに記す。

大学卒業後は海外のチームでプレーをする。そのための4年間にする。入学時に掲げた目標だ。なぜ海外かというと、最終目標がスペインでサッカーの指導者になることだからだ。プレーをしながら言葉を覚えられるなら最高だなと単純に考えた。何よりサッカーが大好きだから、いくら夢が指導者であってもサッカー選手を辞めるなんてまだ考えられない。もっと上手くなりたいし、もっとサッカーの楽しさを味わいたい。海外の女子サッカー事情なんて知らないことだらけだが、小学生からずっとみている海外サッカーの、あの景色への憧れが止まらなかった。

そんな思いから、大学4年になり本格的に海外挑戦に向けて動き出した。当初は最初からスペインでプレーして、そのまま指導者になろうと考えたが、なぜか直感的に、それでは面白くないなと思った。どうせ最後はスペインに行くのなら、その前に違う国を経験するのもありかもしれない。そう考え、南米辺りのスペイン語圏の国なら言葉も覚えられるじゃん!と気づいた時は、私はなんて頭が良いんだ、とニヤニヤした。(冷静に考えれば当然の思考であると今ならわかる)

それから知り合いを介し、辿り着いたのがコスタリカだった。元Jリーガーの選手が今は家族とともにコスタリカに住んでいる。その方は日本語を話すことができ、地元の女子チームを紹介できるという。しかもリーグはプロリーグ。運命だと思った。コスタリカがどこにあるのかも知らぬまま、ケイラーナバスの顔だけを思い浮かべながら、8月のトライアウトに行くことを決めた。

約二週間のトライアウト&1人での海外渡航の思い出は割愛するが、その後の大きな決断に繋がったコスタリカでの二大トピックを書こうと思う。

一つ目は、トライアウトに合格したこと。お給料はわずかで、サッカー選手だけで生きていくことは難しいため、他の仕事もする必要がある。しかし、誰がなんて言おうと私はプロサッカー選手になることができた。見栄がなければ謙遜もない。あるのはサッカー選手というもの対する誇りだけだ。チームが必要としてくれることが純粋に嬉しかったし、サッカーをするのがとても楽しかったチームだったため、この合格は最高の結果だった。

二つ目は、トライアウト合格の喜びを一瞬にしてぶち壊した、最悪で最高の気づきだ。ここからは書くのも恥ずかしいが、どうか痛いやつだなと笑ってほしい。

私は今まで自分のことをオンリーワンだと思っていた。私にしかないこだわりを持って、芯を強く持って、他人に左右されずに意思を貫いてきたつもりだった。だけどそれは、つもりでしかなかった。勘違いだったことに気づいてしまった。
思い返すとコスタリカで流れる時間はとてもゆっくりしていた。日本での日々が常に全力疾走していたようにさえ思えた。人々には常に余裕があった。皆やりたいことをやっているように見えた。心が健康的に見えた。だから他人にも優しくできるし、様々なことを許容できる。そんな人々と触れ合い、「あれ?」と思った。私は本当に自分がやりたいことをやってきたのだろうか。そもそも、自分の本当にやりたいことについてじっくり考えたことあったっけ?これらの問いかけが頭に浮かぶと、不安が込み上げ、コスタリカで一人泣きそうになった。問いに対する答えがNOだと気づいた時には、これまでに感じたことがないショックと動揺で、訳が分からなくなった。

これまでの私は後悔が嫌いで、過去の自分の行いにも何かと都合のいい言い訳をつけて、傷つかぬよう、前に進み続けられるよう過去を肯定し今を積み重ねた。それが得意だったのに、この時ばかりは後悔が止まらない。やりたいことにモヤをかけて、「やらない」、「やれない」と言う選択肢に逃げていた。今のままの自分に訪れる未来に恐怖を覚えた。

夢はプロのサッカー選手だと短冊に書いた小学生時代。海外サッカーの虜になり、海外でサッカーをしたいと思い始めた。素晴らしい指導者と出会い、私もこうなりたいとセカンドキャリアの夢も見つけた中学時代。できるかどうかなんて考えずに、ただ自分のやりたいことを見つけて、「夢」にしていた。それがいつしか、やりたいことをやらない理由を見つけるのが上手くなっていた。「やりたいことだけやって生きてなんていけない」「生きていくためにはやりたくないことでも続けないと」よくある話。聞き覚えのある価値観を、咀嚼なしに次々受け入れ、なんとなく流されていた。一般的な価値観が悪いとか、間違っているとか、そういうことではない。私がショックだったのは、自分の行動や選択には、自分なりの意味づけをして、その上で選び行動してきた(と思っていた)自分が、意味づけをしていなかったこと。そのことに気づいてすらいなかったこと。高校や大学には行くのが当たり前。学歴はあったほうがいい。強いチームに入っておけば、次のステージに進めるだろう。私はずっと、なんとなく選択していた。こんなのオンリーワンでもなんでもない。私はone of themだった。これからも今まで同様なんとなく生きて、本当に自分の望むところに辿り着ける?夢を叶えられる?
甘かった。やりたいことをやっていないやつが、どうやってオンリーワンになるというのだろう。私が大好きで、憧れたオンリーワンの人たちはそんな生き方してたっけ?

行きの飛行機でひたすら聞いたCreepyNutsの「サントラ」と「かつて天才だった俺たちへ」。挑戦している自分にワクワクしながら聞いていたが、今思えばその時は歌詞の意味を全く受け取れていなかった。
以前、こんなことを言われたことがある。同じチームの泥臭く粘り強いプレーが特徴の子と自分を含めたその他の子で比較され、あいつはあまり裕福じゃないから交通費を節約するために走ってきている。だから体力があるし、そうまでして通って上手くなりたいという欲がある、それが粘り強いプレーに繋がるのだと。緩んだ様子にはっぱをかけただけかもしれない。ただ、この時私は、何不自由なく育った自分はサッカーに対して貪欲にはなれないのだろうかと不安に思った。それ以来、上手くいかないことがあるとたまに、自分の境遇にもっと必死にならざるを得ないような問題があれば良いのにと、両親に対して本当に失礼なことを考えることもあった。そんな気持ちを救ってくれたのがCreepyNutsの歌だった。そうか、特別な過去なんていらないのか。人生は自分の手で描くしかない、もがくしかないんだ。好きとやりたいで突き進んだあの頃の気持ちで進み続ければいいんだ。
分かっているようで分かっていなかった。私が一番大事にしたい気持ちを思い出させてくれた。
そんな感覚を味わってもまだ、もがききれてなかった自分にようやく気づき、今変わらなければ一生変われないと奮い立った。

自分が本当にやりたいことを考えるのに、帰りの飛行時間は十分だった。とにかく考えた。新しいチームへの合流までにやりたいこと。語学の勉強、お金を貯める、祖父母に会う。尊敬する指導者にも会いたいし、お世話になった人たちへ感謝を伝えに行かなければならない。時間が足りないというのは考えなくとも分かった。卒論や部活等の自分の中で優先順位が低い事柄を諦めるというのは自然な流れだった。大学や部活をどうやって辞めるのか、周囲にはなんて説明するのか、まずは両親になんて言おうか、とにかく考えた。

もう自分の中での意思は固まっていた。それを周囲に話して、反対されようが説得されようが変わらないと分かっていた。それでもやはり退学を親に言い出すのは容易ではなく、すぐには話せなかった。二晩ほどベッドのなかで親に話すシミュレーションをして、一応泣かれたり怒られたりするバージョンも想定した。妄想しながらも、正直両親が私の提案に対して受け入れないわけがないことは分かっていた。否定や拒絶は実は簡単なことで、受け入れることの方がよっぽど難しいことだと私は思う。しかし、「色んなことを受け入れることができる」のが私の両親のすごいところだ。いざ話すと結果は想定通りあっさり快諾。出張中の父も電話一本、少し忙しそうな声で、「そうしなそうしな。」と言ってくれた。もうちょっと揉めたり議論したりを経て、涙ながらに説得した。みたいなエピソードがあっても。。。ああ、そういうのいらないんだった。

これまでの自分を見つめ直し、本当にやりたいことではないことに多くの時間を費やし、やりたいことの時間までをも消費していたことに気づいた。ああ、なんて中途半端な時間を過ごしていたのだろう。中途半端はもうおしまいにしよう。私を支えてくれる人にも、私自身にも失礼だ、と覚悟を決めた。大学を途中で辞めることの方が中途半端ではないか。そう言ってくれた人がいた。正論である。その人にとっての。しかし、私にとっての正しいはそれではなかった。好きから生まれるエネルギーを十分に注げないものを、続けるために続けるという選択が私にはできなかった。

以上が新たな一歩を踏み出すに至った経緯だ。
ここで伝えておきたいのは、私はCreepyNutsが大好きで憧れてはいるが、二人の真似をして退学をしたわけではないし、二人に人生を変えられたとも思わない。二人の話や歌が大好きで、やりたいことをやれば良いんだと勝手に解釈して、辿り着いたのがたまたま同じ退学という選択肢だった、というだけで決めたのは私自身だ。もちろん、私に大好きを教えてくれるCreepyNutsには感謝しかない。私にとって重要なのは、やりたいことをやっているか、好きなことをやっているか。人にどう思われるかではなく、自分がどう思うか。もちろん人それぞれやりたいことや大事にすることは違うのが当たり前であり、他者をどうこう言うつもりは全くない。また、この話を美談だとも全く思わない。21歳の未熟者がようやく自分自身と向き合い、周りの人たちに支えられながら新たな未来に歩き出した。
ただの事実である。

最後にもう一つ。これだけ後悔やらなんやらを語っておいて、どっちだよとツッコミたくなるかもしれないが、後悔の対象となった数年間は決して無駄ではなかった。夢を到達点としたら、もっと近道ができたかもしれないが、歩いてきた道には確実に意味があった。この道だったから出会えた人たちと見ることのできた景色があった。どれもかけがえのない思い出だ。今までもこれからも、後悔はするけれど、私は絶対に人生を否定しない。なんとなく選択してしまった道かもしれないけれど、その道を私は精一杯歩いた。止まることも戻ることもあったが、その度に考え、動いた。何より、サッカーを好きであり続け、夢を諦めなかった。今改めて、出会えた人々に、前に進み続けた自分に、感謝したい。
ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

こちらも是非併せて読んでみてください。

タイトルとURLをコピーしました