「何苦楚」

サッカー

Hola!こんにちは。

今日はコスタリカの女子サッカーについて書いていきます。

今シーズンは1月にカップ戦の予選リーグを戦い、国内リーグは2月の終わりに開幕。

開幕してからはほとんど毎週試合があったが途中で代表活動やイースター休暇などが入り、先週から折り返しといった感じでリーグ戦も後期に突入した。コスタリカの女子1部リーグは全8チームで行われ、ホーム&アウェイの14試合で優勝を争う。

私が所属するClub Sport Herediano FFは現在(4月25日時点)8試合を消化し、4勝1敗3分で現在2位につけている。好位置に見えるが、下にいる4つのチームとは勝ち点1~4ポイント差しか開いておらず、全くもって油断はできない。残りの6試合は5月に全て行われるため、この1ヶ月はチームとしても個人としても緊張感高まる非常に大事な期間になる。

現在の順位表

さて、私個人の話をすると、今のところカップ戦からリーグ戦までどうにかこうにか全ての試合に出場させてもらっている。フル出場もあれば途中交代、途中出場もあり、始めての海外サッカーを童心に帰るが如く全身で吸収しているといった感覚である。慣れない環境や言葉の壁、文化の違い、それらの存在を頭で認識しているのと身をもって経験するのでは本当に違うのだという事がよく分かったし、正直ちょっと楽観的というか、あまりにも嫌な部分ではなく良い部分を想定しすぎていたな自分。というのが本音である。海外でサッカーすることを夢みていたので仕方のないことかもしれないが。。

コスタリカに来て5ヶ月が経ち、これからリーグ終盤に入っていくところだが、だいぶ慣れてきたかなというのが自分の感覚だ。初めの頃はたくさんの初めてや違いになるべく揺さぶられすぎないように努めたつもりだったが、今思えば心や身体は正直にちゃんと驚いていた。

まず、試合がほぼナイトゲームであること。練習は常に朝5時から行うため、コンディション調整や生活リズムに慣れるのが難しい。アウェイで夜の9時からという試合もあり、毎日9時に寝ている私に両親が「試合中に寝るなよ~」なんて言ってきたが冗談にならなそうで怖かった。。

次にぶつかったのは審判のジャッジ。試合を担当する審判員による(人それぞれ)というのが大前提にあるのだが、特にファールの基準が日本でプレーしていた時とはだいぶ違うことが多い。それに加え、コスタリカの選手たちはよく転ぶしアピールも上手い(という表現が正しいのかは分からない)のでファールなしで寄せて奪うというのが難しい。カードを出すのにも躊躇がないため、人生で一度ももらったことがなかったイエローカードをこっちにきてすでに2枚もらっている。よくテレビで海外サッカーを見ている時に、カードをもらった選手が審判に抗議するのをみて、言ったって変わらないんだから~って思っていたけど、いざ自分がその状況になると必死で抗議し最後は日本語でちょっと文句なんて言っちゃったりして思い出すと少し恥ずかしい。。ボランチの底で試合に出ているので前半でのイエローカードはチームにとってマイナス要素。不本意なカードのせいで途中交代という苦い経験もした。

もう一つ、大きな違いを感じたのはコスタリカ人のサッカーやチームに対する姿勢(文化とも言える)である。コスタリカのサッカーに感じるワードは「情熱」「自己表現」「ゲーム(遊び)感覚」だ。コスタリカでは選手はもちろん、監督、コーチ、観客、サッカーに関わる皆が情熱的である。時にそれが行き過ぎて退場や衝突が起こるなんてことも何度か経験ずみだ。気づいたら監督がベンチからいなくなっていたり(レッドカードで)、相手チームが二人も退場したりした試合もあった。観客数こそ男子と比べると少なくなるが、観客の野次や盛り上がりに男女は関係なく、会場の雰囲気は明らかに日本とは違う。選手も観客も、みんなサッカーが大好きだ。どのチームも勝利に貪欲であるが、選手たちは遊び心も忘れない。ループパスやまた抜き、オーバーヘッドと試合でありゲームであるということを表現する自由度というか頭の柔らかさにいつもハッとさせられる。

そしてチームメイトは皆総じて我が強い。他人にも厳しい。良くないプレー、ミスに対して味方だろうがすごく怒る。自分のミスを棚にあげてなんてことは日常茶飯事であり、時には自分のミスでさえも平気で人のせいにする。大雑把に、本当に大雑把にいうと「励ます」という概念がピッチ上には存在しない。これが最初は本当に辛かったし、自分のメンタル面の未熟さにうんざりした。なぜこれほど怒られなきゃいけないのかが分からないし、確かに私のミスかもしれないが他の選手のポジショニングやその前のパスにも問題はあるだろう!!と反論はたくさん思いつくけれど、それを伝える時間も言葉も私には無い。そんなもどかしさや憤りを何度も何度も経験した。ただ、彼女たちは散々文句を言うけれど、良いプレーに対しても怒る時と同じ熱量もしくはそれ以上に褒めてくれる。私が初めてゴールを決めた時に駆け寄ってきたみんなの顔や興奮具合は一生忘れられないだろう。彼女たちはメンタルの切り替えがとてもとてもはやい。最早はやいという意識なんてものはなく、ただ目の前の事象に正直に反応しているだけと言った方が良いかもしれない。サッカーではそこにどんな意図を持っていても、その前にどんな準備をしていたとしてもプレーには必ずミスか成功か、勝つか負けるかの結果が出る。求められるのは成功であり勝ちであるという非常にシンプルな価値観がここでは浸透しきっているように感じる。彼女らはミスに対してその人を怒るとか責めるのではなく、ミスそのものに対して修正しろと言っているのだ。結果を出せと。怒るのだってその瞬間だけで、試合が終われば負けようが勝っていようが頭はもう次の試合に向かっていて、楽しそうにおしゃべりして帰っていく。どれが正しいとかは置いといて、コスタリカのリーグでプレーしていくため、そして選手として成長するためにも彼女たちから学ぶことは大いにあるというのがここまで経験した上での一番の感想だ。

サッカー選手である限りのびしろは永遠のものであるが、現時点でそののびしろが一つ二つとより明確になっている。初めはただの文句にしか聞こえなかったチームメイトの声が今では「乗り越えろ」「できるだろう」といった期待に感じられる。怒られるのにもだいぶ慣れて、メンタル面の波をだいぶコントロールできるようになったという実感もある。悔しさやもどかしさは日々尽きないが、それを乗り越えてこその達成感に大きな希望を見出している。今のご時世で「なにくそ根性」なんて言葉が思い浮かんだ自分に可笑しさや驚きを感じつつ、こんな言葉使うのどうかなとちょっと調べてみた。すると、なにくそというのは「何苦楚」という漢字で表現することができるそうで、人生は何ごとも苦しい時が自分の基礎を作るという意味だそう。精神論や根性論から派生した間違った行いにより悪いイメージが広まっているため、「なにくそ根性」という言葉を無意識に避けてきたような気がするが、誤解を恐れずに言うと、私はいま自分の中の「なにくそ根性」をどんどん成長させている。精神論で押し切ろうというものではない。「なにくそ根性」を利用して気持ちや頭を切り替え、では次はどのようにプレーしたらいいか、どうしたら上手くいくのかを考えるエネルギーにするのだ。冷静になるのにもエネルギーが必要なんだということに気づき、なにくそっ!!という感情をそのエネルギーに変えているといったイメージだろうか。

辛いことも嬉しいこともたくさん経験している最中であるが、確かに言えることはここへ来て本当に良かったということ。それくらい刺激的で学びの多い日々を過ごせていること、サッカーを楽しませてもらっていることに改めて感謝したい。

タイトルとURLをコピーしました